日常はに熔けて










カタカタと、カタカタと。



絶え間なく聞こえるその音に、半ば呆れた様に
は既に温くなりつつある茶を啜る。

もう何年使われているとも知れない粗焼きの湯飲みには、
彼好みに渋みのある緑茶が注がれているが、既に柔い湯気は見る影もなく、
そもそも彼はそれに見向きもしない。


普段は熱い内に口をつける我が祖国は、
けれども流石祖国と言うか。


現在開発中の特別な装置だと言うソレの制作に着手したっきり
そもそも緑茶所か自分にすら興味を示してくれず、
普段は彼の膝が定位置のポチ君も、すっかり自分の膝の上だ。


キュゥン、と寂しそうな声を上げるポチ君の白いフワフワした背中を撫でながら
「私たちのご主人様にも困ったものだね」と溜息をつく。


ポチ君は勿論、祖国様からも、反応はない。


普段は穏やか――というか、果たして何を考えているのかも分からない
物静かな祖国は、殊オタク事に関しては、それが息を潜めてしまう彼である。


時計を見やる。


そろそろと、夕飯を作るのに適した頃合だろう。


果たして今日は、ご飯を食べてくれるかな。


此処最近パソコンとお友達になってばかりの雇い主は、
中々ご飯が出来ても手を付けてくれない。

折角暖かい内にご飯が出来たと声を掛けた所で、
それから、数十分、数時間と時間を延ばし、冷ご飯に手を付ける事も間々である。


これではいい加減、家政婦として失格だ。


等と言う事、今のこの困った雇い主には気の回らないところだろう。


やれ本当に、困ったご主人様である。



「本田さーん、今日のご飯何がいいですかー?」

「・・・・・。」

「本田さーん?」

「・・・・・・・・・・・・。」

「おいコラ、おっさん。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・・。」

「同人誌、今度処分しちゃって良いですかね?」




バッ!!と、勢いの良い衣擦れの音。


そこでようやく、振り返った。


ビクリと肩を揺らし、青い顔をして。



「・・・・・さん、今何か、恐ろしい事を言いましたか?」

「さあ?私はお夕飯の事しか聞いてませんけど?」



ケロリと言ってのける。


ここで働き始めてから、
自分の面の皮は、何重にも分厚くなったように思われる。


祖国様――改め、自分の家政婦としての雇い主である本田菊は
何やら嫌な汗でも掻いたのか、額を拭いながら「そ、そうですか」と。


そんなに捨てられたくないか、同人誌。


オタクの端くれである自分にも、それは分からない事ではないが。



「もう、ここ最近何をそんな熱心に作ってるんです?」



ひょいっと覗き込んだパソコンの画面には
気が遠くなるような英数字がぎっしりだ。


うわ、と顔を引きつらせる。


「二次元に入れる装置ですよ」


「・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・・・・ハイ?」


サラっと言われて「へぇ、そうですか」と答えそうになった所を
辛うじて意味を飲み込んだ自分が、「いやちょっと待て」とタンマを掛けた。


何だか今、随分非現実的な言葉を聞いた気がする。


まるで、漫画の中の出来事のような――と言うか。


それにしてもこう・・・一言で言うなら『有り得ない』と言う所だろうか。



「マジですか。」

「大マジです。」

「・・・・・・・うわぁ。」


顔を引きつらせたを尻目に、
本田は再びパソコン画面に向き合った。


「これが完成すれば、きっと国民の皆さんも喜んで下さるはずです。」


「はぁ・・・・まあ、そりゃあ嬉しいですが。」



何だかあまりの回答に、返事の反応は薄くなる。


頭が付いていけてない故で、
別に驚いていないわけではないのだが・・・・。


なんと言っても、オタク大国:日本だ。


それで喜ぶ国民――改めオタクな皆様は
そりゃあ多いなんてものじゃない程だろう。


とにかく『有り得ない』が先行するが、それが本当であるのなら、
世界的にも、かなりの話題性を生むはずだ。――というか、世界中大騒ぎだ、そんなん。


自分だって、それはもう嬉しい――というか、たぎる。


が。


「ハイ、休憩。」


ポンっと両肩に手を置く。


細い体に見合わず、筋肉だけはしっかりと付いたその体は
長時間パソコンと向き合い続けているせいか、少しと言わずかなり、筋肉が固まっているようで。

凝り固まった肩の筋肉に直撃した手の平に、祖国が小さく呻くのを聞いた。


そりゃあ、一体何日碌に休憩も取らず
趣味だか仕事だか分からないそれに熱心にしていたと思っているのだか。


仕方ないからそのまま肩を揉み解し始めると
ようやく彼の手の平が、キーボードを離れた。


やれやれ、と息を吐く。



「ご飯、30分で作っちゃいますから。」


「そうですか、では、もう少し作業を・・・・」


「却下。ポチ君の散歩に行って来て下さい。
 何日ほったらかしてるつもりですか。」


勿論、この困った雇い主が行っていなかった間は
自分が買い物ついでに散歩に連れ出しているが。


それにしても、本田菊とポチ君の付き合いも、相当長い様だ。

そりゃあもう、アーサーさんに何年位の付き合いなんだと聞いたら
まさかの数百年単位で答えが返ってくるくらいには。


ポチ君、何者なんだろう・・・・・。


大人の事情のようだから、深くは、聞かない。


兎も角、入って一ヶ月ない位の人間が行くよりは
やはり本来の飼い主が良いと言うのは、道理と言えば道理だろう。


本田は不満気なまなざしをパソコン越しに送ったが、
自分は知らぬふりを決め込み続け

最終的にポチ君の『キュワン!』と言う鳴き声に負けたのか、
溜息と共に両の手を挙げて見せた。



「わかりました、行ってきます。」


「はい。
 まったく、もうご老体なんですから、
 若者みたいな事してないで下さいよ。いつか倒れますよ?」


「言い返す言葉もありませんが、
 改めてそう言われてしまうと、中々傷付きますね。」


「聞く耳持ちません。
 あんまりやり過ぎると、パソコンの使用時間決めちゃいますよ。」



言ったら、それこそ学生みたいですね、と笑われる。

まったく、この人は反省しているのだか、していないのだか。



ポンっと、少し解れてきた肩を叩いて
「ハイ、いってらっしゃい、」と



本田は苦笑して、行って来ます、とのお答えで
ポチ君を玄関へと促す。


フと。


廊下へと渡ろうとするその足が、止まった。



「ああ、今日の夕飯でしたか?」

「ああ、はい。」



何か食べたい物あります?と小首を傾げ、本田もまた、首を捻る。


結局返って来たのは、「さんにお任せします」だそうで。


了解しました、と苦笑を返せば、
本田は再び「行ってきます」という言葉と共に


今度こそ、ポチ君を連れて外へと向かったようだった。


さて。


腰に手を当てる。


開け放した窓からは、
いつの間にやら季節を変えた秋の風が入り込む。


そよそよと庭で揺れるすでに枯れ草色をしたススキには
アキアカネが、羽を休めていた。


日差しは既に朱い。


もうすぐに、夜は訪れるのだろう。


秋の夕暮れ時は、短い。



「夕飯、どうしようかな。」



困ったご主人様が帰ってくるまでに夕飯を作るため
今日こそは温かいご飯を食べてもらうぞ、との意気込みを携えて、台所へと足を向けた。


また今日も、何でもない日常の終わりを鮮やかに彩る
夕焼け色の日差しの眩しさに、目を細めながら。









その日食卓に並んだのは、疲労回復を意識した料理だったわけだが


コイツの健康、気遣ってやるべきじゃなかったかなぁ、と
思わずうなだれる事になったのは、彼の作っていた装置が完成した後。


本田曰く『二次元に入れる装置』とやらがエラーを起こし、アルフレッドを始めとする諸国が巻き込まれ、
この世界に帰って来れなくなってからの事―――だったりして






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