想い出を語る唇が

まるで唄う様な笑みだから

君が君のままで居てくれることに

僅かと言わず、喜びを感じた




ある 昼下がり 恋歌




冬の風がきつく愛撫する。
春はまだまだ遠く、空は透明で高い。
薄い幕の様な雲が、ただ漂う様に浮いていた。


数年前、自分は確かに、この世界で戦っていた。


現在、世界は表向き穏やかではないが、千年伯爵が消え、
アクマ製造がこれ以上行われなくなった今、世界は確実に平和だった。


教団に残ったエクソシストが、未だ破壊しきれて居ないアクマの破壊に当たっているだろう。
それでも、あの時ほどの苦しさを伴う任務でなくなった事は確かだ。


あれから、確実に時は経った。

自分は今、新しい名前で、新しい土地にいる。


「ラビ?」


それなのに、この少し埃っぽい街中で、思いがけず
懐かしい声で懐かしい名前を呼ばれた。


「あ・・・・っれ・・・ウソ・・・?」


振り返った先にいた女性に目を見開く。

自分の知る限り、まだ”少女”という部類に居たはずのその人は、
僅かにその面影を残したまま、自分の目の前に立っていた。


「本当に?ラビ??」

「あ、ああ。うん。」


走り寄って来て念を押すように問いかけるに返す。
出てきた声は、なんともマヌケだったけれども。


「本当にラビだ!
 まさかこんな所でラビに会えるなんて・・・嬉しい!」


そう言って両の手を合わせたかつての同僚は、
過ぎたはずの時の中で、変わらず彼女のままだった。


今の自分は”ラビ”ではない。


けれども、彼女に名前を呼ばれる事に、
どうしようもなく懐かしさと愛おしさが込み上げてきて、
あえて訂正はしなかった。


「それはコッチの台詞サ。
 は、教団に残らんかったんさな」


今の彼女の格好は、エクソシストと言うよりは、町娘と言った風だ。
は愛らしく頷いてみせる。


「うん。・・・・もう少し、みんなと居たいとは思ったけど、
 今まで出来なかった分、私もいろいろな事がしてみたくって」


そう言った彼女は、その女性らしくなった容姿とは逆に
僅かに幼いように見えて、自分の知る面影が、忠実に其処にあった気がした。


「日本には?戻ったん?」


「ううん。戻んない。
 新しい場所での生活もイイかなって」


言われて、そっか、と呟いた。


面影は残しても、時は確実に動いている。

今目の前にいる彼女は、自分が知っているようで、まるで知らない女性のようだ。

その感覚に、なんだか複雑な気分になる。


「ブックマンは?元気にしてる?」


「もー、元気元気。元気過ぎ!
 かーわい気ねーサぁ」


言ったら、彼女は声を上げて笑った。

そんな仕草とか、目元とか、動いたときに薫る彼女の香りとか。
少しだけ成長したのに、彼女が間違いもなくなのだと分かるその姿に、
懐かしい気持ちと共に、何かが込み上げた。


それはあの時、懸命に隠し続けた感情と、良く似ていた。


「・・・・でも、今はジジィも現役、退いてる。」


「そうなんだ?
 あっ、じゃあ、ラビが今は、正式な?」


「そ。正式なブックマン。
 っとに、ようやくさなぁー」


思えば、長いような短いような。


彼女達と過ごした時は、多分一番長かった。
それなのに、一番短く感じた。

一番怖かった。一番苦しかった。けれども、一番楽しかった。

「ハッ、じゃあ、ラビは今ラビじゃないんだ?
 ラビの事ラビって呼ばない方がいいかなっ?」

「なんかヤヤコシ・・・・
 いんや、気にせんで良いサ。
 ン中で、俺はラビで、ブックマンはジジィっしょ?」


「・・・・うん。ラビはラビっぽいし、ブックマンはブックマンって感じ」


・・・・・なんか、やっぱりややこしい・・・・・・

それでも、彼女の中に自分が生きている事が嬉しいとか思ってるあたり、
なんかもう後戻りできない所まで来ているような、そんな気がする。


「他の奴等はどうしてるんかねぇ・・・」

「さぁ・・・連絡とってないからなぁ・・・」

「そうなん?」

「だって、良く知ってる人が、良く知ってる場所で
 知らない内に先に進んじゃってるのって、なんか、怖くて」

「あー・・・」

それは、分かる気がする。

自分ばかりが置き去りの様な・・・

あの場所で、途中で途切れた自分の足跡を見るのが、怖いんだ。

それは、良く分かることで、それが、自分に似ているような気がして。

そのことに対して責めることなど、当然の様に出来るわけもなく。
ラビはただ、そっか、と呟いた。


「・・・・また、この近くで戦争があるんだってね。」

「へ?あ、ああ。うん。」


突然の話題転換についていけなくて、
出た言葉は、曖昧な相槌だ。

は、そのよ様子にクスリと笑って、それから、哀しそうに言った。


「・・・せっかく平和になったのに・・・・
 人は、争うことを止めないんだね・・・」

「・・・変わらんサ、人にとっては。
 アクマが消えようが、消えまいが。」


人はアクマの存在すらも知らすに生きていたのだから。


自分たちの中で、それは確かに平和でも、人々にとっては変わらない。

生きることは生きることで、
苦しくて、必死で、争いもして、嘆きもして。


それは、何があっても変わらない。


ただ、それだけが全てじゃない事も、知っているから。


喜び合い、和解し合い、愛し合うことも出来ると。
世界は、諦めるには勿体無い物だと、知っているから。


「命を懸けることにも、争うことにも。
 多分、どんなに馬鹿らしくても、きっと意味はあるんサ」


だからきっと、戦争は繰り返されるんだろう。

それは、単なる一般論でしかなくて、
単なる一つの言い訳となる逃げ道でしかないけれど。


その言葉に、彼女は哀しそうに笑った。


その行動一つにでさえ、心が痛むのは、
きっと、隠してた感情が顔を出し始めた証拠だ。


そんな、今更―・・・・


ラビは苦笑する。

自分が『ラビ』であった時には、隠し続けてきた感情だ。
名前をつけまいとしてきた感情だ。

そして、あの日、あの時、あの場所に、
名前と共に、置いてきたはずの感情だ―・・・・


「っと・・・・そろそろ、私、戻らなくちゃ。」


ハッと空を見上げてが言い、ラビも同じく空を見上げる。

日はまだ高いが、西へ傾きかけていた。


「そっか・・・・じゃあ、
 元気で、な。」

言って、笑った。

言葉にしたのは『別れ』だった。


―― 別れたくない


それだと言うのに、心を埋めるのは強く引き止める思い。

気持ちが強く疼く。

も微笑んで、そっちも、と呟くように言う。

「それじゃぁ」と言った彼女は手を振って、
ゆっくりと振り返ると、小走り気味に歩き出した。


微笑が、香りが、声が、

遠退く―・・・・


!」

「ん?」


気付いたら彼女を呼び止めていて、何やってんの自分!?とか、内心勝手に焦ってる。
は振り返ってこちらを向き、不思議そうに見ていた。


――隠していた感情だ

押し殺して、押し殺して、最終的に、捨ててきたはずの感情。


それなのに、昼下がりの陽射しの照らす君が、

ほんの少し大人になった君が、

其処に居て、置いてきたはずの名前を呼ぶから―・・・


あの日許されなかった感情が、今なら許されるような気がした。



「俺サ、今、その戦争に出るんに、
 この辺りブラついてるんサ。」


「?」


「・・・・また、会えっかな。」


頬を掻いて、言う。
か細くなった声は、彼女に届いただろうか。


それでも、彼女は微笑んだ。


「私ね、今、そこの喫茶店で働いてるの!」


空が高い。冬の空だ。
透明で、春はずっと遠い。

陽射しが、さす様に降り注ぐ。


「時間があったら来て!奢ってあげる!」


彼女の言葉の真意を理解するまでに、数秒かかった。

理解を終えた頭は、いやに晴れやかで、言葉の代わりに
透明な空に、親指を立てた手を掲げた。


彼女もまた、ニッと笑って手を掲げ、人ゴミの中へと踵を返して走り出す。


その背中は、あっと言う間に人の波に消えた。

しばらくそこにボーっと突っ立っててみる。
心の中は、穏やかだ。


空を仰いで、目を閉じる。
冬の風が、ただ何となく髪を撫でて


ラビもまた、踵を返して歩き始めた。



自分たちの中で、世界は平和で、それでも人々は、争い傷付けあう。

人は人。 変わらないだろう。

自分は自分。 変わらないだろう。


変わらないから僕達は、変わらず世界を愛するだろう。

変わらないから僕は今、気持ちに少し素直になって、変わらず君を愛するだろう。


そんな、ただの昼下がり。



                                ― fin...




200000hitを踏んでくださった美優様に愛と感謝と驚愕を込めて。

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