どうして、そんな笑顔が出来るんだろうと、不思議だった。


端的に纏めてしまうならば、それは『戦争の時代』で

その時代を、渦中の人間として生き抜いている自分達は
安っぽい言葉で言ってみれば、死と隣り合わせに毎日を過ごしていて。

傷も絶えなければ、嫌でも耳に突く訃報も絶えない。

どんなに明るく振舞おうとも、どこか血生臭さが拭えないこの黒の教団と言う組織に、
祭壇に捧げられる献花もまた、絶える事はない。


大きな十字架の前に捧げられる真っ白なその花は、
果たして誰かの哀しみからなのか、明日の我が身を思いながら添えられるものなのか――


自分には分かり得ない事だった。


―― 分かってはいけない、感情だった。


『ラビ』

その名は今この戦争において、自分が傍観者で在る為に付けられた名だ。


この戦争の最中において、ラビの名を以って誰かの為に泣く事は許されない。
そう、定められて付けられた、自分にとって49番目の名。


ブックマンとしてなら、自分はこんな状況下であろうとも、いくらでも笑えた。

ただ今までと同じように、偽って見せれば良い。


これまでの記録地で覚えた人当たりの良い笑顔を、この顔に張り付ければ済む。


ただ、この黒の教団と言う場所で――自分のこの笑顔が、嘘か本当か分からなくなってから――


時折、思う。


この戦争の最中で出会った、一人の女性の姿を頭の中で思い描きながら。



――― どうして、そんな笑顔が出来るんだろう、と



「あ、ラビ。ちょうど良い所に。」


開いた窓から入り込む風を頬に受けながら、あの笑顔を思い浮かべていたら、
思いがけず笑顔の主の声が自分を呼ぶから。


ガラにもなく驚いて、思い切りよく振り返る。

その動きに目を瞬かせるその人物は、驚いたと言うよりは、不思議そうだ。


・・・心臓に悪いさ・・・」

「いや、そんなに驚くとはこっちも・・・」


どうしたの?と首を傾げる彼女に、けれどもまさか、
アンタの笑顔を思い浮かべていた、とも言えないで、何でもねーさ!と乱暴に返すしか出来ない。


「ふぅん・・・まあ、良いけど。」


納得したのかしていないのか、そんな声音では言った。

そして、先ほどまで頭の中で思い描いていたあの笑顔で、ニッコリと笑う。


「一緒に食堂行かない?もう食べた?」

「いや、まださ」

「なら決まりね!良かったー、一人でご飯って結構寂しいのよね」


そんな事を言いながら、彼女は自分の袖口を引っ張り歩き出す。

少し強引なその行動も、何故か彼女の笑顔に許してしまう。


血生臭いこの場所には、とても似合わない笑顔・・・

釣られるように、此方も少しだけ、口元に笑みが浮かぶ。


「・・・相変わらず、楽しそうに笑うな、は」

「・・・ラビは、相変わらずつっまんない顔して笑ってるわね」


そう皮肉気な事を言いながら、カラカラと笑う。

嫌味なのか、そうでないのかの判断は、未だに難しい。


所々開け放たれている窓からは、梅雨の晴れ間の風が差し込む。


ここ連日の湿った空気を洗い流すかのように、建物の中に押し寄せる乾いた空気は
豊かな緑と水を多く蓄えた土の匂いと、少しだけ――夏の匂いを含んでいた。


窓から見下ろせば、春に比べて色も量も濃くなった緑が、チラチラと木漏れ日を躍らせている。


「つまんない顔して笑ってる、か・・・」


そうだろうな、と納得して見せた自分に
好きなように袖口を引っ張っていたは、怪訝そうに眉を潜めて足を止めた。


「やっぱ、何かあった?」

「いや、本当に。なんもねーよ。
 ・・・なあ、はさ。」

「ん?」

「どうして、そんなに楽しそうに笑えんの?」


ますます深く刻まれる彼女の眉間のしわと、
どんどんと床と平行になっていく傾げた首に苦笑いを浮かべながら、率直に尋ねる。


「楽しくねーだろ、こんな状況で。俺達はただの戦争の駒さ。」

「そりゃ、戦争が楽しく無いのなんて当然じゃない。」

「俺は・・・ブックマンとしても、人間としても
 アンタみたいにゃ、笑えねーさ」


そういって、ツイと視線を外した。

そんな自分の様子に、困ったように笑う彼女は
窓枠に頬杖なんかついて、髪を風に遊ばせる。


「でも、普通に生きてたって、楽しくない事ばっかじゃない。
 人間、生きていれば楽しい事よりも、辛い事の方が多いものよ」

「そういう話じゃねえって・・・」

「どうしちゃったの?そんな青臭い事言うなんて。変なラビね」

「なあ、――」

「―――――。」


今度は此方が呆れた声で言う。


そうじゃない――そういう話じゃないんだ。


そういう、命が、安全が、当たり前に保証された上での、
ありふれた日常としての楽しさ、苦しさの話ではないのだ。

そんな事、彼女も分かっているだろうに――ヒラリヒラリとかわされる。


神の使徒――そう呼ばれるイノセンスの適合者達。


けれども、そんな風に呼ばれていた所で、実際は――自分達は、神に忘れ去られているんじゃないだろうか。


だって、本当に神の使徒だと言うならば、加護の一つや二つ――あっても―――


「苦しいって、悲しいって、そう思いながら、
 苦しい事や悲しい事ばかり見つめていたら――辛いじゃない」


自分の思考を断ち切るように、彼女がぽつりと零す。

その言葉に弾かれる様に見上げた彼女の表情は・・・少しだけ、泣きそうだった。


「だから、楽しい事を見つけて笑うの。どんな小さな事にでも。」

・・・」

「そうしてるとね、案外笑える事なんて、ありふれてるものよ。」


そう瞳を閉じながら息を吸い込んで、ゆっくりと長く吐き出された呼吸。


その口元はやはり微笑んでいて。

次の瞬間、先ほどの泣きそうな顔が見間違えかと思うほどにニッコリと
彼女はやはり楽しそうに笑う。


「こうしてラビとおしゃべり出来たり、一緒にご飯が食べられたり、ね?」

「・・・そうさな」


おどける様なその口調に救われる。

やはりその笑顔に、釣られるように此方も笑う。


「それに、私はラビのそのつまんなそうな笑い方も良いと思うよ」

「ん?」

「暗い顔してムッツリしてるよりは、」

「・・・それは、褒められてる気しねーな」


困ったように言ったら、声を上げて彼女は笑った。

笑って、笑みを含んだ声で「褒めてないもの」と返す。

「だろうな」と、むっつりとした顔で返すと、彼女は一層楽しそうに笑う。


―― 複雑だ、とても。



「そんなに不機嫌にならないで。
 本当はね・・・」

「・・・何さ」

「ラビがたまに見せる優しい笑顔、大好きよ」

「・・・・。」


唐突なの台詞に言葉を失う。


「これは、褒めてるからね?」


目の前には優しく笑う彼女がいて、その言葉の本意を掴めない。

でも―――悪い気は、しない。


「俺も、楽しそうに笑う、嫌いじゃないさ」

「あ、ずるい。」

「・・・好きだよ。心があったかくなる。」


いつもの癖と言うべきか、そのくすぐったい言葉をヒラリとかわして答えたら
不服そうな表情で答えた彼女に、言葉を変えて言い直す。

彼女は満足そうに、微笑んだ。

ガラにもない事を言わされて、
微かに熱くなる頬に手を伸ばし、指を添えて、柔らかく。


「そういう表情、もっとしたら良いのに」



――穏やかに、胸の奥に燻ぶる気持ちがざわつく。


『ラビ』には許されないはずの感情が、胸にじんわりと温かい。


嗚呼、なんだ、と。


そこで、思う。


この残酷な世界で、自分達の事を忘れ去っていると思った『神』は

けれども案外、自分達の事を覚えているものらしいと気付く。


苦しくて、悲しくて、血生臭いこの戦争の最中でも
小さな幸せは、案外たくさん散らばっている事に――気付く。


―― 小さな波紋のように滲んだ、この気持ちみたいに。


ただ一つ、皮肉だなと思うのは・・・



「・・・さんきゅ、

「うん?」

「さぁって、飯食いに行くか!」

「わっ、ちょ、も、もう良いの?」



今度は此方から、彼女の手を引いて歩き出す。

小さくて華奢な指先が伝える体温が、温かい。

慌てる彼女に、思いがけず穏やかになった気持ちを噛み締めながら、答える。


「おう、ちょっとガラじゃないトコ見せちまったさ」

「・・・もっとガラでもない所、見せてくれても良いよ・・・?」

「・・・その内、ゆっくりな。」


答えた自分に、彼女は少しだけ嬉しそうに小さく頷いた。





―― ただ一つ、皮肉だなと思うのは・・・


自分達をこの戦争に放り込んだ張本人の『神様』位しか

この穏やかに芽生えた恋心の行方を知らない――なんて所か・・・





くらいしか、
この
の行方は らない





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