皆が怖いと遠ざける人は、私のクラスに居る。

窓際の一番後ろが、彼の定位置。

特等席だと思うのだけれど、彼は滅多に其処にいない。


みんな怖がるから、其れを咎められる事もない。


彼に友達と呼べる人は居ない。

彼も其れを望んでいるから、
特別問題があるわけじゃないけれども・・・


其処に絶対的な存在感を置いているのに、姿は滅多に現さない。


不思議な、クラスメート。



「あ、雲雀君。」


始まりは、2学期の初め。

珍しく教室にいた彼が、応接室に行こうとするのを、
私が呼び止めたところから。


「・・・何?」


少し不機嫌そうに振り返った彼に、教室中がシン・・と静まって。

まあ話しかけた位じゃ殺される事もないだろう、と
自分自身何となく言い聞かせながらも思って。

話しかけた事についての後悔は、全くと言って良いほどにない。


「次の数学、新しいところに入るんだって。
 難しいって言ってたけど、出なくて大丈夫?」


前回の授業で、担当の教師が言っていた事。

思い出して伝えれば、彼は「ふーん」と返してきた。



「じゃあ、君がノートとっておいてよ。」


「私が?字、あんまり綺麗じゃないんだけど・・・」


「読めれば構わないけど。」


「そう?じゃあ良いよ。ルーズリーフで良いかな?」


「いや、このノートに・・・」


そんな会話から、始まったんだと思う。


クラスだけじゃない、学校中、もしかしたらそれ以外だって避けて通るような人と
こうやって、割かし普通な会話をしている事には、不思議な感覚を覚えたけれど・・・


2つ分のノートに、黒板の内容を書き取り、授業に出ていなくても分かるように
板書以外にもポイントなんかを書き込んでおく。


「ごめんね、あんまり綺麗じゃなくて。」


チャイムが鳴って戻ってきた彼にノートを差し出すと、
先ほど書き写したページを流し読みながら言う。


「読める文字だし、問題ない。」


短い答えだった。

今時の子みたいに可愛い文字が書ける訳でもないけれども、
そう言ってもらえたのは、実は結構嬉しくて。


「ねえ、」


さて次の授業の準備だ、と立ち上がりかけた時、彼は言った。


「次の授業のノートも、取っておいてよ。」


一瞬だけ、私は呆けて。

それから、何度も何度も頷いた。


その後に机の上に山積みにされたノートに、正直ゲッソリもしたけれど・・・

最期に「よろしくね」なんて言われてしまって、
単純な私は、よろしくされる気になった。


最期の授業は、現国。


正直、あまり書き写す事もなくて暇なその授業で

ちょっとした悪戯心で、彼のノートの片隅に
『もうすぐテストだし、頑張ろうね』と、コメントなんか書いてみたりして。


怒られたら、消せば良いや。


それ位の、軽い気持ちで。



次の日の朝には、机の上に再び山積みノートがあって、
どうやら、また書き写しておけとの事らしい。

何か自分、すっかりその係に任命されかけてないだろうか・・・

思いながら、昨日の現国のノートを取り上げた。

まあ昨日のコメントなんか、消されてるだろうとか思いながら。

けれども次の瞬間、私は盛大に吹いた。

そりゃあもう、朝早くクラスについてるクラスメートに思い切り振り返られる位に。

しかしそんな事気にする余裕もないくらいに、一頻り笑わせてもらった。

だってまさか『めんどくさい』なんて、あまりに歳相応なお返事が返ってきてるとは
思っても見なかったものだから。



『駄目だよ、勉強しないと』と返せば次の日には、
『しなくても分かる。簡単すぎて面倒だ』と返って来て。

『うわぁ、それすっごい嫌味だぁ』と書いておけば
『事実だよ。君こそ、ちゃんと勉強してるの』と書いてある。

いつの間にか、言葉は二言三言と増えて、「交換日記ですか」と突っ込みたくなるくらいに。


そんな、短い言葉のやり取りを始めて、そろそろと3ヶ月が経とうとしている。

季節は、もう秋と冬との真ん中だ。

このやり取りを始めたころは、まだまだ残暑が厳しい時期だったのにな・・と、
少し懐かしいような気持ちで振り返りながら。

まだ現国の時間ではないけれども、パラリと、彼のノートを捲った。


「・・・・あれ?」


次の授業は、移動教室だ。

クラスの皆は、準備をしてそれぞれに教室を出て行く。

その中で呆然とした様子で、は取り残されていた。

時間が、しばらく止まっていた。



「・・・何してるの。」


その、時間を引き戻す声を聞いて、はハッと顔を上げた。

目の前には、そもそもの時間を止めた発端の人。


気付けば、クラスメートは殆どが移動教室に消えていて
丁度、最期の女の子ペアがいそいそと教室を逃げて行く所だった。


今目の前にいる、この雲雀恭弥が、きっとクラスの移動を
随分と促進してくれたに違いない。


「えーっと・・・そろそろ私も移動しようかなって」


「それにしては、随分ぼーっとしてたみたいだったけど。」


「だ・・・っ」


誰のせいで!!


言おうとしたけれども、言葉に詰まってしまった。


だから、しょうがない。


現国のノートを、雲雀に突き返す。


僅かに驚いたように目を見開く雲雀の表情に
むしろ此方が驚いたのだけれども、よく考えたら自分たちは
こうやって筆談するのみで、きちんと向かい合って話した事など殆どない。


「・・・どういうつもり。」


「それはこっちの台詞!」


こんな・・・、と、戸惑ったような声を出して。

けれども、またすぐに目の前の彼を見つめ直した。


「こういうのは普通、直接本人に伝えて
 直接本人から答え聞くってのがセオリーでしょ!」


「そう?」


「そう!」


「へえ・・・本当に、良い度胸してるね、君。」



面白そうに、口元を吊り上げた目の前の男に、
僅かに面食らう。



「そ、そう?」


「君たち草食動物が僕に話しかけてきた時点でまずは及第点だろ。」


「そ、そう・・・なのか・・な?」


よくわからないけれども。

困ったように頭を掻いたら、雲雀はの机に手を付いて
身を乗り出すようにして顔を近づける。

思わず後ずさったの腕を、片手で封じた。


「及第点のご褒美に、言ってあげるよ。」


「は・・・・・」


「君には、僕の物になってもらうから。」



・・・・なんだろう、この墓穴を掘ったのが否めない感じ。


こんな風に言葉にされてしまったら、余計に逃げられないのに、
何を催促するような事を言ってるんだか、自分・・・



「直接言って、直接答えるのがセオリーなんでしょ。
 ・・・・答えてよ。」



「・・・・最初から、選択の余地なんかないじゃないの・・・」



その言い方じゃ、なんかもう、既に決定事項じゃないか。

断る断らないの問題じゃなくて、
むしろ決定事項の伝達に限りなく近い位置にあると思う。


困ったように言ったら、雲雀は満足そうに笑って。

掴んでいた腕を離して。

再びノートを、に渡した。


「これ、あげるよ。
 もう必要もないだろうし。」

「必要ないって・・・が、頑張って写したんだから
 少しはテストに役立ててよ、雲雀君・・・・」


「そもそも君、僕がテスト受けてるの、見たことあるの」


「・・・・・・・・ナイデスネ」


・・・・・うっわ自分、初っ端から馬鹿だ!!


気付かずになんて事やらかしてたんだ・・・・!!!


っていうか最初から言って欲しかった・・・


「・・・別に、続けたければ続けても良いけどね。」


「へ?」


「このノート。」


言う雲雀に、は一瞬迷うような仕草を見せて、
やがて首を緩く横に振ると、微笑んだ。


「もう要らないよ、ノートは。
 それよりも、私達、まだ殆ど話した事ないんだよ?」


これからは、お互いに話していこうよ。

君の事も、私の事も、まだまだ知らないことはたくさんで

これから、お互いをよく知っていこうよ。


「ああ、そう言えば。」


「え?」


「君の名前、まだ知らないんだけど。」


「・・・・・・まじっすか。」



そう言えば、名前をまだ呼ばれた事がない気がします。


確かに地味ーな学校生活送ってきたから目立たなくて当然と言えばそうなんだけども


・・・・・ごめん、地味にショック。



「・・・ 。改めて、よろしくね。」



ああこれでようやく


ノートから始まったありがちで有り得ない感情の物語の

スタート地点に立てた気がする・・・・





物語の始まりを告げる言葉
これからの物語を紡ぐためにも、今はたくさん話したい




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