マスターが、俺を大切に思っていてくれた事は、知っていた。



どんなに上手くいかなくても、マスターは自分を励ましてくれた。



「大丈夫だよ、ちゃんと出来るから」



そう言って、貴女はいつだって信じてくれた。


やっと上手くいったその時には、
一緒になって喜んで、抱きしめてくれて。


マスターは、俺の全てを、ただただ、受け入れてくれて


俺は、そんなマスターの笑顔が大好きで・・・



マスターが、俺を大切に思っていてくれた事は知っていた。



それでも消えない不安定さも知っていた。


いつかは離れていくだろうマスターの心を知っていたから。


幾ら言葉を注がれても、心は満たされなくて。


それはきっと、その言葉も、約束も、全てが無意味だと知っていたから。



ああ、ねえそれでも――





「おいコラー、ミクー、リンレンーっ!メーイコーにカーイトー!!」



何処にいるんだーー!!と


ヤケに響く、マスターの声。


その声が、自分を最後に呼んだことも
実はちょっと気に入らなくって。


握り締める手が、熱を伝える。

誰のものだろう、分からない。



「あー何だ、いるんじゃないの、返事くらい・・・し、て・・・?」



部屋に入ってきたマスターは、そう、言葉を途切れさせた。


続けられなかった、


きっと、そっちの方が正しい。


部屋の扉が開くのと同時に、入り込むのは新鮮な空気。



ああ、やっぱり。



気付かなかったけれど、こんなに酷い臭いだったのか。



「かい、と・・・あんた・・・」



青い顔で、震える唇のつむぐ声。


ニコリと、微笑み掛けた。


ツウっと、頬のラインを緩やかに、赤い液体が滑り落ちる。



「どうしました?マスター」



狂気を孕んだ俺を見て


俺はこの人に、どうして欲しいんだろう。


躯と躯が重なって、
赤い血は、もう誰の物かも分からない。


混ざって、混ざって、1つになった。


綺麗と思うには、あまりに背徳的な美。


それでも、初めは確かに
彼女に笑って欲しかった筈なんだ。


笑って、あの大好きな笑顔で、


そして最後には、こうして皆で一つになる



素敵だねって、彼女に笑って――・・・



「マスター?」



いつまでも返事のない彼女に、首を傾げて問いかける。



ねえ、もしこの場で貴女が逃げるのだったら



『どうして』、なんて。



言ってくれたら、良いのに



あなたは俺を分かってくれてなかったって


絶望して終わらせる事が出来るから。


もしこの場で、怯える様に立ち尽くす貴女が拒絶するのなら



そうして俺を突き放せば良い。



――本当にそれで良いのか?



問掛けるもう一人の俺を受け入れる部分は、
もうとっくに麻痺していた。



「カ、イ・・・・ト・・・」



どうしてって言って

違う、違う、言わないで


絶望して終りにさせて


嫌だ、嫌だ、棄てないで


突き放して、全て――


マスター、どうか俺を――・・・



「ごめん、ね・・・かい、と・・・」




目を、見開いた。


震える唇の紡いだ言葉は、
俺が予想していたどの言葉とも違って


俺が予想していたどの言葉よりも優しくて


それなのに、どうしてだろう


心の中を、絶望が満たしていくのは――


「ごめん・・・カイト・・・・っ」


そんな俺を、マスターは抱き締める。


涙を流して、泣きながら


返り血に濡れた体ごと、その温もりで包みあげて


呆然とする俺に、マスターは謝り続けていて


こんなになるまで気付けなくて、ごめんと



言って、見た事も無いような表情で


泣いて、泣いて、泣いて・・・



「ます、たー・・・」



あの大好きな笑顔は、なかった。


拒絶も無くて、突き放してもくれず


望んだはずの言葉もなくて


温もりの方が、絶望でしかなくて


何も、何も、思い描いたものは無くて・・・



ねえ、何で


貴女はいつでもそうやって


俺が欲しい言葉ばかりくれるんだ


時には絶望が欲しかった


貴女の優しさは、時々すごく痛かった


ねえ、何で


貴女は俺の全てを、受け入れてしまうの――



「好き、です・・・」



嗚呼、そうか


これは罰なのか



あの大好きな笑顔がなくて


絶望ばかりのこの心が、罰なんだろうか


空っぽになる筈の体が満たされていく


そんな、あまりに優しすぎる、絶望――・・・



「ごめ・・・なさ・・・」



その謝罪が、果たして何に対してなのか、分からないまま



振り下ろした手の中の異物に



マスターの身体は仰け反って



けれども、彼女はただただ、俺の全てを受け入れて



振り下ろした鋭い刃の先ですら



マスターは、受け入れて、しまって――・・・・



俺はこの人に、どうして欲しかったんだろう



突き放して欲しかったのか、


絶望させて欲しかったのか、


受け入れて欲しかったのか・・・



ただ、ひとつ




「おれは・・・・ただ・・・・・」




愛されたかった、だけ・・・・・?



そんな、単純な事、だったはずなのに――




崩れ落ちたあなたの体を抱き締めて


見つめたあなたの死顔が


あの大好きな笑みだった事が


俺にとって何よりの絶望で



絶望した終わりを望んだはずなのに


心の中は満たされてしまっていて――




マスターが、俺を大切に思っていてくれた事は知っていた。




それでも消えない不安定さも知っていた。



いつかは離れていくだろうマスターの心を知っていたから。



幾ら言葉を注がれても、心は満たされなくて。



それはきっと、その言葉も、約束も、全てが無意味だと知っていたから。



ああ、ねえそれでも



それでも貴女を愛していたかっただけ、だったのに――




「・・・ますたー・・・おれも、そっちに・・・」




伸ばした手は、虚空を裂いて、落ちた








絶望の淵に咲いた
けれどもその絶望に、俺は確に救われていて






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