白いエリカの彩る夜に
届かぬ手3








水の勢いが弱くなったのを見計らって、
壁の上へとよじ登った。

まともな酸素が唐突に肺を膨らまして、
驚いて思わず咳き込む。


「うっ・・・げほっ・・・ごほっ・・・・!
 だあぁ・・・死ぬかと思っ・・・!!」


思わずなった涙目を拭いながら、肩でどうにか息をした。


さん!大丈夫ですか!?」

「ごめん、大丈夫。それより、此処を離れないと・・・」


同じくして水から這い上がったシャーリィが
慌てた様子で尋ねるのに、手で大丈夫だと示して答える。


そんな事より、ゆっくりなどしていられない。

早く此処から逃げなくては。


しかし、足元を見やっても、水が流れを止める気配は無い。

ゲームでは水は無くなっていたのに、
流石にそんな上手い具合にはいかないらしい。



もう一度浸かってしまっているとは言え、
この水には海水が混ざっていて、海水が毒なシャーリィを見れば
水の中を進むには余りに酷だ。


しかし、かと言って他に道は・・・


「まったく、まだ生き残りがいたのか。
 本当に、つくづくしつこい奴等だよ。」


唐突な背後の声にハッとして振り返った。

赤い兵が、数十人。

先頭にはメラニィとスティングル。


水辺を挟んで向こう側にいるが、それでも分の悪さは
火を見るよりも明らかだ。


「い、いや・・・」


フェニモールが恐怖に身を強張らせ後ずさる。


「フン、まあいい。
 こんな小娘一人いた所で、何が変わるわけでもない。」


メラニィがそう言って兵たちに水の向こうへ行くよう指示を出す。
紅い鎧が水に浸かり、鎧の重さのせいだろうか、
水に足を取られる事なく此方に向かってくる。


が鉄扇に手を触れ、構えた。


瞬間だった。


何が起こったのかもわからないまま、
黒い翼の魔物にも似た飛行物体が現われ、
紅い兵たちをなぎ倒す。


今度は、鎧が非を祟った。


重さのせいで浮き上がる事が出来ずに
水面下でもがき苦しむ兵たちが、揺れる水に歪んで見えた。


「な、何が起こったの・・・?」


余りに唐突な事に、同じく呆然としていた
その代弁を、フェニモールが果たした。



「危ない所だった。」


そしてまた、唐突な声が頭上より降ってくる。

流れの強い水の流れに掻き消される事のない低い声音。

水の上を飛び越えて、黒い翼の男が、自分たちのいる壁の上に降り立った。



「何者だ!!」


メラニィの鋭い声が飛ぶが、気にする様子も無い。


「あなたは!」

「・・・俺の名は、ワルターだ。」


突然に現れた男は、一度に一瞥くれ、
それでも、言葉少なに名乗りを上げた。



「ワル・・ター・・・?」

「ワルターさん、貴方も水の民なんでしょ?」


金の髪、蒼い瞳。

陸の民の格好はしているが、
間違いなく水の民・・・煌髪人である証を携えている。


「誠名は、デルクェスだ。」

「デルクェス・・『黒い翼』・・・!
 私、その誠名に聞き覚えがあります!」



・・・ヤバイ、話に置いてかれてるわ、私。

とりあえず、何だろう。

今現在の状況で、
ワルターが『陸の民』である自分に襲い掛かってくる様子は無い。

っていうかなんか無い物にされてるような気もするけれども。

とにかく、此処は彼は味方と思って良いんだろうか・・


呆然としていると、ワルターの目が向けられ、


「・・・・へ?」


僅かに、その目元が和らいだのを見た。

何か懐かしむかのようなその仕草に目を見開く。

何で、こんな顔するんだ、この人・・・

けれど、まるで見間違いだったかのようにワルターは
今まで通り、感情を殺したような瞳で再びを捉えていた。


「・・お前、異世界人か。」

「っ!!」


驚いた・・・何てもんじゃない。

死ぬほど驚くってのは、多分こういう事だ。

息の仕方を忘れるような、この感覚の事だ。


「な、なん・・・っ」


さっき、水に煽られて嫌と言うほど水を飲んだのに
口の中がカラカラで、やっとの思いで吐き出したその単語は
外に出た途端に変な音になった。


だって、今まで騙し騙しだけれども誰にも言ったことなど無くて
それなのに、なんでこんな風に、サラリと・・・


「何の・・・事ですか・・・・?」


フェニモールとシャーリィが戸惑うように尋ねる。

唐突な訳の分からない単語、けれども、2人の間では、其れが成立している。


しかし、その疑問にワルターが答える事はなかった。


ザブン!と水の飛沫が話を邪魔して、見れば、新たな兵とメラニィが
水に体を付けて、此方へと進軍しているのが分かった。


舌打ちの音が聞こえ、瞬間、体がフワリと持ち上がった。


「う・・わ・・!?」


何!?コレ!!


目を見開き、先ほどまでいた壁を見下ろす。

渦を巻くような、黒い幕。


ワルターのテルクェス?


見れば、シャーリィとフェニモールも同じように
それぞれが、黒い幕の球体に守られ浮いている。


「な、なんで私まで・・・!?」

「・・・このまま陸の民に殺されたいのか。」

「そ、そうじゃないけど・・!」

「なら、黙っていろ。」


言うと同時に水を飛び越え、兵達の上を抜けて再び地面に足が付いた。

水の中を半分ほど進んでいたメラニィ達が忌々しげに振り返る。

兵たちに陸に戻るよう指揮して・・・


「・・・お前等は先に行け。
 俺が此処で、敵の足を食い止める。」


「でも・・・ワルターさん一人じゃ・・・」


「このまま先へ進むと、人目に付かない所に隠し小部屋がある。
 其処に隠れていろ、俺もすぐに行く。」


「シャーリィ、ワルターさんの言うとおりにしよう!」


「あ、うん・・・」


フェニモールが言うのにシャーリィが頷き、
はワルターとメラニィ達とを見比べる。


ワルターが、早く行けと促し、シャーリィ達は走り出すが、
は、降ろしていた鉄扇を再び構えた。


「わ、私は残るよ!」

「邪魔になる。お前も行け。」

「じゃ、邪魔とか・・・」


確かにワルター強いし、自分弱いし、邪魔かもしれないけど、でも・・・


いくら強くったって、トリプルカイツ2人に対し一人、
更に兵士達が何人もいる。

到底勝てると思えない。


「・・・それでも、私だってザコ兵相手にするくらいは、出来るよ。」


メラニィ達が、水面から体を出し地面へと戻った。


「やってくれるね、お前達。」


水を滴らせ、此方に苛立ちの視線を向け向かってくる相手を一瞥すると
「足手まといにはなるな、」とそれだけ言った。

は強く頷き、シャーリィとフェニモールに、早く行くよう促す。

2人は顔を見合わせると、強く頷き再び走り出した。

メラニィが水に濡れた髪を掻き揚げる背後でスティングルが無言に
黒い鎧に水を滴らせて近づいてくる。


その背後に、更に紅い鎧の兵。


ワルターとが、それぞれに構えた。


「・・・お姫様を守る騎士が、変わったようだね。」


ワルターは何も言わずに手を翳す。

彼のガストが立ちふさがった。


「・・・面白い技を持ってるね。」


そう呟いたメラニィの前方と、後方兵数名に
一筋の稲妻が落下した。


メラニィはいち早く背後に飛びずさり回避するが
兵士の数名が呻き地面に伏す。


「・・・そこの小娘か。」



メラニィはそう言ってニィっと笑った。

痛ぶり殺せる事が何よりも楽しいとでも言うように
歪んだ笑みを満面に。

反するスティングルもまた、
何も感じていない冷酷な無表情で、剣を取った。


「あのマリントルーパーより、
 楽しませてくれそうじゃないか。」



ヒシヒシと感じる2人の桁違いの強さに
冷たい汗が伝う。


「フレイムカッター!!」


空間を震わせる怒号のメラニィの声。

呼応するように炎の刃が発生し、一直線にとワルターを襲う。


2人は左右に分散されるように避けると、
間を置かずに、前方に浮いているガストがアイスニードルを繰り出す。


「ヴォルトアロー!!」


負けてはいられない、残った以上はやらなくちゃだろう、と
繰り出したブレスは敵兵の頭上に落ち、初め数十いた兵たちは
片手で足りるだろう人数となった。


瞬間、目の前で一閃が走り、目で確認するよりも速く飛びずさる。

腕に冷やりとした痛みが走り、見れば僅かに横一線が入り血が流れていた。


・・・スティングルだ。


「・・・っ」


話を知ってしまってる分、この人の相手はし難い部分が在る。

振り上げられた剣を片一方の鉄扇で止め、相手の胴に残りの鉄扇で
一撃を入れるが、厚い鎧に傷が付いただろう位で、効いてはいない。


「何を躊躇う。」


「アンタには関係ない!」


思わず鈍った攻撃の手に、スティングルが静かに低く問う。

振り切るように言って、は地面に手を付いた。


「・・・大切な人を守るためでも、私は、貴方を軽蔑します。」

「なに・・・・っ」

答えも聞かず、グっと手に力を込める。


ジェイ直伝、浮雲(もどき)!!


蹴り上げた足が、スティングルの顔面にぶち当たり、
仮面を抜いてダメージも与えられたらしい。


2・3歩とよろめき、その隙を縫って
今度こそ、鎧から剥き出しの生身の体へと、鉄扇を突き立てた。


「ぐっ・・・」


横腹に食い込む鉄扇に呻き、それでもやはり、トリプルカイツだ。


痛みにも惑わされずに、剣を横に薙いだが、
早々と後方に後ずさったには当たらず空を切った。


その時、横方面からワルターの呻きが聞こえ、
ハッとした様に其方を見やる。


メラニィを前に片膝をついて、荒い息を繰り返す。


気付けば、ワルターの出したガストが消えていた。


「っ!ワル・・・・」



瞬間、脇腹に冷たい異物感を覚えた。


嫌な水音と共に、異物感は消えるが、同時に灼熱の痛みに襲われる。

一瞬、メラニィの技でも喰らったのかと思ったが、どうも違った。


一瞬の冷たい異物感は、スティングルの、剣だ。


ドサァっと、地面に雪崩れ込む。


血が、脇腹を押さえる手の間から留まる事無く流れる。


嫌な粘質な感触と生暖かさに、ゾっと鳥肌が立った。



・・・ヤバイ、一気に状況悪化だ。


「・・・女!」

「え・・・」


ああもう、遂に死ぬかなとか呆然と思った頃、唐突に引かれた手に驚く。


「ワ、ワルター・・・」

「飛び込むぞ」

「は・・・」


言われた瞬間、驚く間も無く抱すくめられ、
情報処理をしている間に、体を水が打ち据え包む。


水の中に飛び込んだのだ。


ワルターは苦しそうながらも悠々と水を掻き、
は、咄嗟に口を手で押さえたが、
先ほどと同じで、苦しさは感じない。


けれども、自分たちの進む水の後に、紅い筋がゆらりと尾を引いた。

水に溶け込む血に、激痛が走り顔を顰め息を詰める。


フと見上げた先のワルターの髪が、蒼く輝いていて綺麗で


意識が何かに飲まれていくようだ。


じわじわと、どす黒いものが意識を喰らっていく。



「ねえ、ワルター・・・」

「・・・何だ、女。」

「・・だよ。
 ・・・・なんで、私の事は、助けるの・・・」


セネルの事、陸の民の事、憎いのに。

何故自分を、こうして・・・


「・・・お前とよく似た奴を、知っている。」


遠退く意識の中でワルターは言った。

其れが誰なのか。


問いかけたくても、もう瞳を開けている事すらもままならなくて。



――― 我が、声を・・・・



何処かでまた、声が聞こえた気がした。


最期に見た視界の端で、水が、青く耀いているのが見えた。