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郁音は、空を飛んでいた。 正確には、目の前にいる翼の生えた男の力によって。 思えば、目の前の背中は、この世界に来た時からずっと 同じようにして自分の目の前にいつでもあった。 時に優しく、時に厳しく。 兄の様でもあり、しかしそれは、全く別の感情を持った。 全く別の、愛しさを持った。 郁音は、膝の上に置かれる小さな鉢植えを強く抱いた。 「郁音・・・街へ、逃げろ。」 先ほど、目の前の背中の言った言葉が、離れなかった。 |
覚醒4 |
正直なところ、シャーリィが今告白をするという事については、賛成しかねていた。 話を聞く限りでしかないが、セネルさんはステラさんに 相当深く思いを寄せていたようで、そのステラさんが亡くなって、 まだたったの2週間だ。 いくらなんでも、まだ気持ちの整理が付かないだろう、と。 その事を、一応本人にも言った。 言った、けれども―・・・ 「あんたのお姉さんは死んで、あんたは生きてる。 あんたには幸せになる義務があるの。お姉さんの分までね。」 フェニモールのその言葉には、言い返す言葉が無かった。 「・・・ふぅ。」 郁音は思わず溜め息をついて、自分のためにと用意された部屋の椅子に 深く深く凭れて座った。 シャーリィの告白の結果が上手くは無いだろう事は、わかっていた。 それでも彼女が、思いを告げるだけでも気が済むというのなら、と それ以上止める事もできなかった。 その事に、胸が痛むのも隠しきれなくて―・・・ フと、窓辺に置かれた白い花が目に入り、泣きそうな顔で微笑んだ。 もうすぐ、華楠が来るだろう。 彼女に、こんな顔は見せられない、と。 そっと息を吸い込んで、吐き出す。 夜風に、僅かながらに気持ちはそっと静まった。 その時、部屋の扉を叩くノックの音が聞こえて、 華楠が来たのかと立ち上がった。 「え・・・・?」 しかし、その時入って来たのはワルターで、郁音は正直、戸惑った。 「えっと・・・どうしました?ワルターさん。」 その戸惑いを隠そうともせずにそのままの色を湛えて音を発すれば ワルターは、いつになく真面目な瞳の色で、言ったのだ。 「郁音・・・街へ、逃げろ。」 街へ行く事なら、別に珍しい事でもなかった。 必要な物を買うために、居候の様な身である郁音が せめて出来る事をと買出しに行く事は、今までにも何回もあることだった。 しかし、こんな言い回しをされたのは、今回が初めてで―・・・ 「俺が送り届けてやる。支度をしろ。」 「え、あ、あの、ワルターさん。どうしたんです?急に。 あの・・・華楠が、来るんです。もう少ししたら。 せめて、それまでは―・・・」 「駄目だ、急げ。時間がない。」 嫌な、予感がした。 とてつもなく、嫌な予感。 「明日の儀式が終われば・・・お前は、殺される。」 ツっと、その言葉が冷たく身体の中に入り込んだ。 足元に街の明かりが見えてきて、ゆっくりと、高度が下がってきた事に気付いた。 郁音は、そっと息をつく。 目の前の背中は振り返らない。 やがてつま先が地面に触れて、街の目の前で、ワルターと2人、地上で向き合った。 「・・・まだ、しばらくは時間がある。 数日後、海が輝いたら街から出ろ。 何処か・・・・森の中に身を隠せ、分かったな。」 そんな事を言われても、分かるわけがない。 そんな唐突な事に、頭が付いていくわけがない。 ワルターの、言葉。 これが、お別れの言葉のつもりなのだという事だけは、何と無く、理解できた。 「・・・・・。」 手の中の鉢植えを、足元に置く。 深く、深く、礼をした。 「・・・・今まで・・・ありがとうございました。 どうか、御無事で・・・・・」 殺されると言われたのは自分なのに、可笑しな話だと思った。 それでも、言葉にしたい事は、それだけだった。 だから、それしか言わないつもりだった。 「郁音・・・」 瞬間、身体に温もりを感じて、ワルターに抱きしめられている事に気付いて。 泣きそうに、なった。 「・・・・生きろ。」 耳元で告げられた、言葉。 同時に温もりは離れ、その深い蒼の瞳が、夜闇に紛れる。 何処か遠くで、狼の遠吠えの様な声がした。 「・・・・導きの森の番人か・・・」 彼はそう言ったけれども、意味はわからなくて。 「ワルターさん・・・」 名を呼べば、ワルターは僅かにその端正な顔を歪めたが すぐに踵を返して、空へと戻って行った。 暗闇の中、その背中が消えるまで、呆然と見送った。 見知らぬ場所へ置き去りにされた子供の様な気分で、 この後どうしたらいいのか、なんでこんな事になっているのか。 頭も働かなかった。 ただ、ひとつだけ。 自分は、この世界に来てから、ずっと目の前にいて しっかりと自分を守っていてくれていた、背中があって。 自分は、本当の意味では華楠の心境を理解できていなかったのだと。 この時初めて、まるで場違いみたいに、理解した。 |