現実逃避と人は呼ぶ 亀の甲より年の功と言う言葉がある。 これでも一応8は離れた兄なのだと 改めて自覚する事になったその事件は、ちょっとばかり―― ――いや、大分。 浮世離れしたものだった。 ・・・・っていうか、 そんな言葉で済ませて良いのかも分からない。 それでもとにかく、自分が頭を真っ白にしている間に 兄は割りと冷静に、作り掛けだった夕食を完成させてきた。 そして、またあくまでも冷静な様子で、パソコンソフトのパッケージから出てきた 線の細い青い髪の男に向き合って話を始めたのだ。 曰く 「まず最初に、あんた・・・あー・・・名前は?」 「あ、カイトです。 正確にはローマ字の大文字で書くのが正しいんですけど」 「あー、話をする分には支障ないから 今の所はその件は省略させてもらっていいか?」 「はい」 ニコリと頷くカイト。 悪い人には、見えない。 「ん、俺は。こっちは妹のだ。 で、だ。悪いがいくつか質問させてもらっても?」 「あ、はい。構わないです」 「んじゃ、カイト。早速で悪いが一つ目だ。 ・・・お前、一体何処から出てきたんだ?」 「え?えーっと、普通にパッケージから出てきましたよ?」 キョトンと言われましたが、一つ言わせろ。 それは世間一般普通と言わない。 「いやまあ、俺らもその瞬間見てたから、それについては疑うにも疑えないんだけどな。 何て言うか、ほら、体積の問題が明らかに間違ってるだろ」 「あはは、そうですよねー。 実は、俺もあんまりよく分かってないんですけど」 「・・・・あんた、あの中に入ってたんだろ?」 「ええまあ。 でも窮屈ではなかったんで、まあそういう物なのかなーって。 あれですかね、無限空間みたいな?」 「この箱は四次元ポケットか何かか・・・」 「よじげん・・?」 「あー、良い良い。言うと長くなりそうだ。」 軽くあしらうように手を振る。 それから、指を2つ出して、2つ目、と続けた。 「あんた、いつから其処にいたんだ?」 「はい?」 「いや、だって普通に製造してる工場とかで、箱詰めにされて来たとは思えんだろ。 なんかそれだと、こう人道的に間違ってるような気がしないか?」 確かに、人買いじゃあるまいし。 たくさんのカイトが、機械で運ばれてきて あのパッケージに詰め込まれるサマなんて、想像したらちょっとしたホラーだ。 「・・・・いつだったのか、実は俺も、あんまり覚えてないんです。 迷子になって密林に迷い込んだのは覚えてるんですけど・・」 「み、みつりん?」 そこで初めて、自分が口を挟む。 カイトは少し困ったように「えーっと・・・俗称ですね」と告げて、 自分も、それで理解した。 文字通りの密林じゃなくて、あれか、がKAITOを買った所か。 それにしても、迷子になって密林に迷い込むって 一体全体どうやったらそんな事に・・・・ 「で、次に気が付いたら真っ暗の中で、叫んでも誰も居ないし・・・ 諦めてた所に、何かこう・・・・人の温もりを感じて。 今度こそって誰か居ませんかーって叫んだら 暫く後に上から下への大地震ですから・・・」 ・・・・人の温もりを、感じて・・・・? フと、カイトと名乗るその男と、目が合った。 眉尻を下げて、笑う。 「あの温もりは、貴女だったんですね」 「・・・・・っ」 一気に体温が上がる。 ・・・・アレか この馬鹿兄が余りに難な事を言うから 思わずKAITOのパッケージを抱きしめて、溜め息を堪えた あれ以外に、思い当たる節なんて、ない。 「あ、悪い。 その大地震は多分俺がパッケージ振ったからだ」 「ええ!!?止めてくださいよっ CDが壊れたらどうするんですか!?」 「だから悪かったって、結果オーライだ。」 カラカラ笑う兄は、悪びれも何もない。 カイトはふくれっ面で唸っているけれど、それが何故だろう 子犬みたいに見えるのは、自分だけか・・・・ 「まあ確かにだ、そりゃいつから入ってたのか分からんわ。」 「そうなんですよ、いつの間に箱詰めされたんでしょうね?」 「むしろそれに気付かないアンタが凄いわ・・・・」 思わず、ボソリと呟いた。 「まあ、オーケー。3つ目の質問だ」 「あ、はい。」 「非常に非現実的で信じがたいものではあるが お前は、今話題のボーカロイド本人って事で良いのか?」 それは、直球な質問だった。 自分も窺うようにカイトを見やる。 カイトは小首を傾げながら「そうです」と、ごく当たり前の様に答えた。 何で改めてソレを聞かれるのかが、分からないとでも言う様に。 は、首筋に手を当てながら、溜め息をついた。 「・・・・まあ、登場から今この場での回答含め これで嘘付いてたら、お前、よっぽどの役者だな。」 「う、嘘は吐いてません!!」 「あー、まあそう吠えんなって、 それほど、信じ難いものの信じざるを得ない状況ってこった。」 ソレが遠まわしに言われた、今の話を信じる、という事なのだと理解すると カイトはホッと息をつく。 ボーカロイド云々は兎も角として、 悪い人にはどうしても見えないのは、確かだ。 笑い方とか、目元が、すごく優しい。 「オーケー、分かった。 とりあえず夕食にするぞ、腹減った。」 「え、ええ!!?ちょっ兄貴、それで終わり!!? 私まだワケがわかんな・・・っ」 「分かっただろうが、大体は。 我が家にボーカロイドがやって来た。それだけだ。 ただ信じがたいから受け入れられてないってだけだろ」 「そ、それが一番重要なんでしょ!」 「なら、コイツこのまま追い出すか? 既に捨てられた犬みたいな目して見てるぞ」 「うっ・・・・」 ソレを言われると、困る。 良い大人が、不安そうな目で自分を見つめていた。 そんな人に出てけ、とは、流石に良心が・・・・・ 「とりあえず、飯だ飯。腹が減っては何とやら、だ。 ――ああ、カイト。お前飯は?」 「えっと・・・・・」 「食事が可能なら飯はちゃんと食えよ。 保険とかきかないんだからな、倒れたりしたら、イロイロ面倒だ」 「すみません・・・」 「そう思うなら少し手伝ってくれー。 あー、そうだな、とりあえず皿出してもらおうか」 「あ、はい!」 「オラ、お前も手伝え」 「ちょっ・・・・」 「まあ、一先ず飯を食って、今後について作戦会議だ。 腹括って現状見るしかないだろ」 「ちょっと兄貴・・・!」 「そうカッカすんなよ。腹減ってんじゃないのか? とりあえず飯にしようじゃないか――」 「〜〜〜〜要はあんたの腹が減ったんだろうがああああぁぁ・・!!!」 「ああもう駄目・・・疲れた・・・・」 ポスンっと空気の弾ける音と共に、は自らの部屋のベッドへと 躊躇いも何もなく背中から倒れこんだ。 天井を見上げると、疲れのせいかいつもより高く見える。 もう、頭の中がグチャグチャだ。 何をどうしたら良いのか、むしろ何がどうなっているのか。 カイトが我が家に来た。 それが文字通り、 あのニコニコで見たような容姿の青年がやって来た事だなんて 自分の頭が可笑しくなっているとしか思えない。 そう言えば、今は五月。 皐月病なんてものも、あったなぁ・・・ 溜め息を一つ、吐く。 その時、部屋に控えめのノック音が一つ。 そちらに視線をやれば、何となく予想がついた通り カイトが布団を抱えてやってくるところだった。 「あの、マスター、大丈夫ですか?」 「・・・ダイジョウブ」 一応、言葉だけは定例に返すが、 疲労困憊の大元な人に心配をされても、正直複雑だ。 カイトもそんな心中を悟ってか 苦笑して、失礼します、と部屋に入って来た 「布団、これで良かったですかね?」 「うん、クローゼットの中、もうその一組しか無かったでしょ?」 「はい」 「床で寝てもらうようでごめんね。 物置に行けば折りたたみベッド位あるかもだけど、何せ部屋が狭いからさ。」 「そんな事ないですよ、十分過ぎます」 カイトは慌てて両の手を振って見せた。 『腹を括って』 兄は言ったが、こう、諦めざるを得ない状況になると 彼のその行動も、まあ何処となく微笑ましく見えたりもする。 カイトは、自分の部屋で眠る事になった。 もちろん、自分だってこれでも一応、年頃の娘だ。 反対は・・・・猛烈に、した。 けれども、この家に客間なんて物はないし、いくら今は居ないとは言え 両親の部屋を勝手に使わせるわけにはいかない。 兄の部屋は――・・・ 『無理だ。野郎を寝かせるスペースはねえ』 『・・・・どこぞのお姉さん寝かせるスペースはあるくせに・・あだっ』 などと言う会話を繰り広げてきたばかりだ。 この女ったらしめ。 リビングと言う手も在りはしたが、 二階に比べると、一階フロアはどうにも冷え込む環境にあるらしく 大切にしなくてはいけないボーカロイドの喉を壊すかもしれない ――と言うのは、趣味でバンドを組んでいる兄の気遣い。 結果的に、と同室を認めなければ カイトは二階の廊下で寝なくてはならない様な状況になってしまって 流石に、いくらなんでもそんな事はさせられない。 階段下のクローゼットを覗いたら、 辛うじて父たちが赴任先に持っていけなかったらしい布団が一組だけ残っていて、 それを使って眠るという事で仕方ない、渋々も手を打った。 同じ布団で寝ろとか言われないだけ、マシだろうと。 「でも、明日晴れたら、一回天日干しした方が良いね。 ちょっと埃っぽいや・・・アレルギーとか平気?」 果たしてボーカロイドにアレルギーとかの心配が必要かは謎だが ハウスダストのアレルギーはそれだけで喉を潰す危険がある。 尋ねたら、カイトは優しい笑みで「平気です」と答えた。 その笑みにドキリと心臓が跳ねた事とかは内緒事項で 「明日はとりあえず服とか買いに買い物ね。 幸い、明日は土曜日だし。学校ないしバイトもない。 一先ずは兄貴と兼用でも着れそうだけど、やっぱり必要な物あるしね。」 「・・・すみません、迷惑掛けて・・・」 シュンとしたカイトに掛けるべき言葉を見失って、 沈黙が、部屋を降りる。 同室はどうにか覚悟したが、打ち解けるまでのこの微妙な空間 堪えられるかな・・・・ 思わず吐いた溜め息は、この居たたまれない雰囲気と そしてもう一つ、これから待ち構えている重大な仕事に対してで 思ったよりも重たい響きになった。 一先ず、今日の夕飯の席で決まった事は カイトが泊まるための部屋の事と、両親に負担は掛けさせないようにと、 これから加算されるだろう、プラス一人分の食費や光熱費の事。 そう言った金銭の問題は、兄のお財布から出て行くことになった。 此処は、家に寄生型の社会人にお任せしようと思う。 そして、学生の身でそんな大それた事の出来ない自分が 仰せつかった仕事が、ひとつ。 これがまあ、なんとも面倒な事で。 「・・・・・なんて言ったら良いんだろう・・・」 「え?」 「こんな説明、到底無理でしょ・・・」 父は兎も角、母にだけはカイトの・・・・せめて、家に一人 他人を上げているという事だけでも伝えるように、との事。 これがまた、何とも難題なのだ。 父ほど頭の固い人でないのは救いだが、 それにしても、この唐突にやって来たボーカロイドの事を 一体どう説明して親を納得させたらいいのか、正直分からない。 「マスター?」 「うー・・・・うーん・・・・」 首を傾げるカイトに、まあいいや!と。 起き上がっていた身体を、再びベッドの上に横たえる。 「明日、考えようっと。」 面倒な事は、後回し。 手遅れにはならない程度に気を抜いていれば良い。 20年間学んだ事は、役立つだろうか。 「私、今日は疲れたから先に寝るね。」 「あ、お、おやすみなさい、マスター!」 「おやすみぃ・・」 出来るだけもう何も考えないようにして、布団を頭まで引き上げる。 ベッドの下では、何かゴソゴソを衣擦れの音。 カイトが布団を敷いているのか。 とにかく、早々に眠ってしまいたい。 今日はもう、疲れた。 ああ、明日になったら夢になっていればいいのに。 思いながら、の身体は、泥の詰まった袋の様に 深く重たい眠りの中へと沈んでいった。 |