奴の名はG...










カイトが来てから、約数週。

休日の夕方は、大抵との歌のレッスンが入っていて
そしてその間にが夕食を作る、というスタイルが身に付いてきていた。


今日もまたその様なスタイルで、とカイトが歌を練習して
は一人「頑張ってね」なんて言い残して
夕飯を作るためにキッチンへと向かっていった。




「っきゃああああぁぁぁ・・・っ!!!」




のその叫び声が聞こえてきたのは、それから約一時間。

叫び気に次いで、幾つかのガラスが割れる音。


と顔を見合わせる間も無く、カイトは部屋を飛び出した。


「っマスター!どうしたんで――」


言って、階段を駆け下りるその途中で胸に飛び込んでくる華奢な体。


向こうも必死に駆け上がる最中だったのだろう。


殆ど体当たりに近くてバランスを崩しかけるが


此処は、階段。


流石にそれは不味いだろ、と、咄嗟に手摺りを掴み堪える。

逆の手では、しっかりとの体を支えて。


どうにか転ぶのは免れて、ホっと息を吐く。


そして、未だに自分にしがみ付いているを見下ろした。


見た限りでは、特に大きな怪我は無い。


何があったのかは分からないが、それだけでもどうにか一安心で。



「あ、あのマスター?」


大丈夫ですか?


問いかける。


は、カイトの胸からほんの少し顔を持ち上げると
呟くように、言った。


「・・・・カイト。」


「は、はい・・・・」


「虫、好き?」


「・・・・・・・・・・・はい?」


思わず、素っ頓狂な声を出した。


と、そこで割りと呑気に「どうしたどうした、何があったー?」とか
聞きながら部屋を出てくるの姿。


階段の口まで顔を出して、様子を伺う彼を
途方に暮れたように見上げると、ようやくも、しっかりと面を上げた。


「や、やつが・・・・」

「は?」

「奴が姿を現した・・・!!」

「や、やつ・・・ですか?」


誰?と思わず首を傾げると、は物凄い勢いで迫ってくる。

って言うか近い!顔が近いって・・!!


「奴よ奴!
 黒くてテカテカしてて足が速くて時には飛んだりなんかしちゃったりしてGもしくはCの付く!!!」

「え、あ、ああ、アレ、ですか」


何かもうそこまで来たら言っちゃえば良いんじゃないかとか思うわけだけれども
どうも口にするのもおぞましい、な感じらしい。

分からなくも・・・・・無くもないけれど



「あー、ヤツがついに現れたか・・・」



が階段の上で頭を掻いている。


「もー・・家新しくしてから一匹も見てなかったのに〜っ!!
 何で!?どうして!!どこから湧いて来たの奴ら・・!!!」


うきゃーっ!と取り乱しているを、まあまあドウドウと鎮めて
って言うかそろそろ離れても良いんじゃないのかなー、なんて。


に実害も無く、怪我がある訳でもないと分かったら
急に冷静になってきて、フとして気付けば、この状況。


あの、マスター。

流石にこうも抱きついていられると、恥ずかしいです。


言えない。


雰囲気的に、何か言えない。



「あー、隊員、敵兵は今どうしてる」

「キッチンの水場付近に潜伏中であります隊長」

「そうかー」


何か妙に冷静に、可笑しな事を口走り始めた2人に
え、何これどうしたら良いんですか、と戸惑っていると

急に、がビシっとカイトを指差した、


「ではカイト隊員、即時襲撃準備に取り掛かれ!」

「・・・・・・・は」

「俺は嫌だ、アイツ嫌いだ。
 ってーワケでお前に名誉の任務を授ける。ま、頑張れ。」


退治が終わったら練習再開すっぞーとか。


言って、は頭を掻きながらまた部屋へと戻っていった。


え、なに、それってだからつまり・・・・・え?


「えええぇぇえぇええ!!?」


思わず叫んだカイトに、が思わず飛びのいて。


ようやくは離れた訳だけれども、嬉しい云々以前の問題だった。










「また、随分な惨事ですね・・・・・」

「奴を抹消したら片付けます・・・・・・」


リビングに入って、キッチンへと向かうと、また凄い有様で。

幾つかの陶器が割れる音はしたが、随分と見事な事だ。

皿が2・3枚割れて床に散らばっている。

どれだけ取り乱したかが、それだけで見て取れた。


「よっぽど嫌いなんですね、マスター」

「って言うか奴に限らず虫全体がダメ。ハエですら許せない」

「それはまた・・・・」


夏場が大変でしょうね、とカイトは言って。


ハイ、武器にドウゾ、と渡された古い雑誌を筒状に丸める。

そして、その床に散らばる破片を踏まないように器用に歩いて
敵潜伏中の水場へと近づいた。


と、確かにいる、異様な黒い物体G


嫌だなあとか思ったって、は既に放り投げだし、
あそこまで嫌がるにそれをさせるのは、流石に酷と言うもので。


自分も男だ、腹を括れ、とカイト。


いざ尋常に、勝負!!


思ってグっと古雑誌を振りかぶる。





「ってうわわわわっ!!?」


と、飛んだ!!

危険を察知したヤツが飛びました隊長・・・!!


じゃなくって


流石に、ムリ!!


自分に向かって飛んできたGを避けて、フラっとバランスが崩れる


「カイト!!」


が叫んで、流石に自分でも不味いと思ったけれども
ガラスの破片が散らばる床へと、尻餅をつく。


ギュっと瞑った目に、それでもゾッとするようなあの痛みは無くて。


腰に鈍い痛みはあったけれども。


恐る恐ると目を開けば
幸運にも、丁度破片が無い一帯に腰を付いた様だった。


そう言えば、昔からそういう運だけは良かったな、とホっと息を付いて。


「カイト、大丈夫!?」


慌てたように駆けて来るが見えてキッチンに入ってくる。

足場は一応気にしているものの――


「マスター!危ないです――」


言った瞬間に、が顔を顰めた


「痛・・・タっ!!?」


「っマスター!!」


痛みに思わず膝を折りそうになったに、
カイトが咄嗟に言って身を起こした。


の身体に腕を回して、
抱きしめるように彼女が倒れこむのを防ぐ。


自分の足はガラスの破片を踏んではいたものの、
幸い切れてまではいないようだった。


うん、運が良い。


じゃ、なくて―――


「マスター、結構無鉄砲な所あります?」

「うっ・・・・・」


腕の中で、が固まる。

そんな彼女に、一つ溜め息。


「しかもスカートなんですから、膝着いたら大変な事になりますよ・・・」


「いやあの、なんかもう条件反射で・・・・」


「脊髄で物を考えないで下さい。」


「・・・・・ごめんなさい・・・・・」


今回ばかりはカイトも怒った口調で、思わず素直に謝って。


「怒ってるわけじゃないですけど・・・・」


そこで、カイトはギュっと腕の中のを抱きしめた。


身を固めているに、けれども気にした様子も無くて。


「あんまり、心配させないで下さいね。」


「は、はい・・・・」


申し訳ありませんでした・・・と


しゅん・・・とした様子のに、カイトはほんの少しだけ笑んで。


「俺も、心配してくれて、有難う御座いました」


言ってから、傷の手当しましょう、との身体をヒョイッと持ち上げた。


だから、つまりそれは――


「・・・・・・・・へ?」


属に言う所のお姫様抱っこ、ですか。


「ちょっか、カイト!!?」


「マスター危なっかしいんですもん。
 また怪我されたら俺の心臓が持ちません」


そ、その前に私の心臓が持ちません!と


カイトは上手くガラスを避けながら、安全地帯へと進んでいく。


だめだ、聞いてない。


っていうか・・!!


「ヤツは!!Gはどうした!!!?」

「・・・・・・・あ。」


今になって気付いたように、カイト。


振り返ってみると、そこはガラスの惨状があるだけで―――



「取り逃がしました、ね」



あはは、と苦笑い。


「バカーーー!」と


カイトはニッコリと笑った。


「大丈夫です、マスター」

「はい?」

「次に見つけたら、ちゃんと仕留めますね」


マスターを怪我させたGは、許せませんから、と。


物凄く良い笑顔で言うカイト。


だからなんか、変なバグ起こしてるんじゃないかなーとか・・・


あのメンテナンスとか何処かで受けられないんですか、コレ。




20年間生きてきた中で初めて、Gの身を心配しました。まる。