あたたかな雨








車の扉を、閉める。

この雨の中、30分くらい時間を潰すなら、車の中でも充分だろう。

それでも、このコンビニからは離れたい。


近くの公園にでも行こうか。


あそこなら、車を止めても迷惑じゃない。


思って、エンジンを掛ける。

その間、カイトはずっと無言だった。


駐車場から出て、車を走らせる。


しばらくしてコンビニの灯りが見えなくなってから、
はようやく、口を開いた。



「それで?」

「・・・・・・・。」

「本当は、何の話してたの?カイト。」



バっと顔を上げたカイトは、暗くて見えないけれども驚いていたようで。

幾らなんでも、カイトがこんなに様子が可笑しいのだ。

アイスの話をしていたわけじゃない事くらい、分かる。


「・・・・あの、マスター・・・・」

「ん?」

「俺・・・・迷惑ですか?」

「はい?」


思わず素っ頓狂な声を上げる。

どうしたんだいきなり・・と隣を見れば、至極真面目なカイトが居て。


「何で急に?」

「・・・マスター、俺が来てから・・・
 あんまり遊びに出なくなったって・・・・・大沼さんが」

「言ったのね?」

「・・・・・・はい。」

「ったく、余計な事言うなーあの人」


あんたよりあの人が迷惑よ、とは嫌そうに言う。


「迷惑だったらその様に言ってるわよ、私。
 そりゃ、最初に来た時驚きはしたけど。かなり驚いたけど!
 悪いけど、迷惑だ何て思ったこと、一回も無いわよ。」


驚いたり、大変だなーとか思ってみたり、不安になったりはしたけれども

そう言えば、自分でも驚く位に、迷惑だ何て思ってなかった。


彼がそこにいる事は、今では当然の様になっていて
それは、家族がそこにいるのと同じようなものなのだ。


「それに、さっきも言ったでしょ?
 私、結構カイトと一緒にアイス食べるの好きだって。
 幾らなんでもそんな嘘つかないよ、私。」


それくらいは、分かってるでしょ?とは言って。

小さく頷いた。


夜道に薄ぼんやりと、公園が見えてくる。


速度を落として公園の中に車を乗り入れて、適当な所で停車させた。


昼間は賑わう公園も、夜はひっそりとしていて、寂しい。


サイドブレーキを上げて、ふうっと息を吐いてから、
それとも・・・と隣に座るカイトを、軽く睨む。


「私本人の言葉より、大沼さんの言葉を優先させちゃうわけ?」

「そうじゃ・・・ないんですけど・・・・」


言ったカイトの声に覇気は無く。


「そもそも、あの・・・・」

「んー?」

「この間の件も、よくよく考えれば、かなり強引だったかなー・・・と」

「この間?」


怪訝に思って、けれども一つ、思い当たる。


俺のマスターは、貴女が良いですと


カイトが言ってくれた事。


それ位しか、思い当たる節はない。



けれども、何で今更その話が出てくる?


思いがけない話題が出てきて、少し頭が真っ白になる。


ああどうしよう


キレる一歩、手前まで来てる。


「その話、この間終わったんじゃないの?」

「終わりで・・良いんですか?」

「っだから、カイトが私何かがマスターじゃ嫌だって言うなら
 その話は終わってないんじゃない?」


少し、投げやりな口調になってしまった。


そんな風に言いたいわけではなかったのに。


それでも、思いがけずに傷付いた自分がいて


フと見えたカイトも、思いがけず傷付いたような顔をしていた。


ああ、何て悪循環。


ああもうっ!とは思わず声を上げた。


カイトの肩がビクっと揺れる。


「その下がった眉を持ち上げる!」

「は、はい!!?」

「怒るの好きじゃないんだから、あんまり怒らせないでカイト!」

「え・・・え?」


カイトが困ったように声を上げて。

は腕を組んでカイトをきつく見やる。


「何よ、私が常に遊び歩いてないといけないの?
 私にだってお財布事情ってモンがあるのよ、
 って言うか何で『遊び』に行く事を強要されないといけないの?」

「べ、べつに強要してるわけじゃ・・・・」


ただ、自分が来てからが遊びに行かなくなったと聞いたから。

そう呟いたカイトに、完全に、頭に血が上った。

それを自覚する自分は、けれどもそれを止める事までは出来ずに――


「そうよ、カイトが来たから、遊びに行かなくなったの!」

「・・・・・・っ」


肩を震わせる。

彼女の口から直接聞くと、キツイ。


やっぱり、自分が来てから、自分が来たせいで――


彼女の生活を、壊してしまったのだ。


「カイトが来てから今までよりは使えるお金少なくなったし!
 何か知らないけど早く家に帰らなくちゃって強迫観念には駆られるし!?
 休日だって、確かに家にヒッキーよ!!」


「そ・・・れは・・・・」


「でも、だから何!!?」


「・・・・・・・・・・え?」


彼女の言葉に、理解が追いつかなかった。


は、泣きそうな顔で自分を見ていた。


泣きそうになって、睨んでいた。



「友達と遊ぶよりもカイトと一緒にいたいって、私が思ったらいけない訳!?」


「マス・・ター・・・?」


「使えるお金少なくても、カイトの笑顔見たいって思うの、そんなにいけなかった?
 早く家に帰ってカイトの歌が聞きたいって思うこと、駄目だった?
 マスターらしい事出来なくても、休日くらい一緒にいたいって思うの・・・」


そんなに、悪い事だった・・・・?



最後の言葉は、涙声に消えて行った。



ああ駄目だ、これ、完全に泣く。


思った時には、どうにも出来なくて。


泣き顔なんて、見られたくなくて


鍵も抜き取らないままで、車の外に飛び出した。


カイトが引き止める声も聞かないで、公園の中を全力で駆ける。


こんなに本気で走ったの、何年ぶりだろう。


そんな事を、場違いなように思った。


公園の外に出て、あんまり遠くには行かなくても良いから

それでも、しばらくはカイトに見つかりたくなくて


子供みたいに身体を小さくしながら、公園の周りをグルっと周って
先程車を止めていた場所から一番遠い辺りに、座り込んだ。


洋服なんて、もうこの大雨にやられてしまっているから
今更濡れたって、気にもならない。


頬に当たる雨が、頭に上った血をゆっくりと体中に巡るよう指示する。


雨に紛れて、少し泣いた。


明日、風邪引くかなーとか思いながら。


少し、どうでも良くなった。


「私の馬鹿・・・結局、八つ当たりじゃない・・・」


結局、カイトに全部ぶちまけて来たのは、独りよがりだったのだ。


カイトは知らなくて当然で、彼が不安になっても仕方ない事で


自分が、彼に当たって良い事じゃなかった。


それでもほんの少しだって気付いてくれていなかった


その事が無性に悲しくて


大沼の言葉の方に揺らいだのが、悔しかった


マスターらしい事出来なくったって


いや、だからこそ


彼の傍にいたかった


例え何も出来なくても、自分をマスターにと言ってくれたカイトが


本当に、嬉しかったから―――・・・・


グっと、自らの手の甲に爪を立てる。


肉に食い込む痛みで泣くのを止められたらと思ったけれど
逆に、泣きたくなるだけだった。


「・・・・マスター、」


声を掛けられて、顔を上げる。

いつの間にいたんだろう、同じようにずぶ濡れになったカイトが、いた。


泣きそうな表情で、目の前に立つカイトが――・・・・



「ごめん・・・なさい・・・・」

「・・・・・・・。」

「ごめんなさい、マスター・・・・・」



カイトは繰り返し謝る。


そうじゃないのに、カイトは自分を責めていいのに――



「なん・・・で・・・・謝る、の・・・・」


「え・・・・?」


「そんな事知るもんかって・・・・カイトは、怒って良いのに・・・・
 全部、独りよがりだったでしょ・・・・?
 全部、私が自己満足で、やってあげてる気になって、だから・・・・・っ」


「そんな事・・・・・!!」



吐き出した黒い部分を、カイトは遮った。


ストンっと、自分の目の前で、同じ高さになるように腰を落として。


目の前にある顔は、今にも泣きそうだった。


「そんな事・・・・言わないで下さい、マスター・・・・・」


「・・・・・・・・・っ」


「不安・・・・だったんです。マスターは・・・優しいから。
 無理してでも俺の事を優先してくれるし、無理してても大丈夫だって笑うし。
 だから・・・本当は迷惑なんじゃないかって。
 俺は、貴女がマスターじゃないと嫌で、でも、本当は貴女は嫌だったんじゃないかって
 迷惑でも、マスターは優しいから、言えないだけなんじゃないかって・・・・」


「そんな事・・・思ったこと、一回も・・・・」


「・・・・・はい。」


だから―――


「本当に・・・・ごめんなさい・・・・・」

「・・・・・・・・」

「マスターの事・・・・疑って・・・・・・
 マスターの優しさを・・・裏切って・・・・」



ごめんなさい。


カイトは、言う。


泣きそうになるのを、一生懸命堪えながら。


それなのに、我慢できない自分が、嫌だ。


ああもう、折角この間、泣き顔を見られたくなくて逃げたのに


台無しじゃないか、完全に。


思わず、目の前に居たカイトに抱きつく。


勢いが良すぎたのか、カイトはそのまま腰を付いてしまって。


カイトは、驚いたように身を固めていた。


「・・・・っ許してあげる・・・・・から・・・・・」


震える声で紡ぐ、精一杯の言葉

こんな事しか言えない自分が、嫌いだ。



「許してあげる・・・・から・・・・私の事も・・・許し、て・・・・・」



必死になってしがみ付いたカイトの身体に、必死になって言葉を紡いで。


カイトは、暫くの後に、そっと、自分を抱きしめ返した。


「許します・・・・・マスターの事、全部・・・・許しますから・・・・・」


もう、泣かないで下さい。


言ったカイトの声も、少し震えていた。


雨が降る。


その中で、しばらくの間、そうしていた。


頬に当たる雫は、冷たい。


けれども、肌の暖かさに当てられて、滑り落ちる頃には暖かくなっていた。


「ああ・・・マスターの言ったとおり・・・ですね。」

「え?」

「雨の間は、このコート、止めた方が良いですね。」


言って、カイトは腕の中のに苦笑を向ける。


かなり汚れちゃいました、と。


そう言って。


「・・・マスター、」


「・・・・・・・うん?」


「・・・・・そろそろ、帰りましょう?」


「・・・・・・うん。」



2人、びしょ濡れの身体を持ち上げる。


フと見上げた空の雨脚は、弱くなっていて。


ああ、明日は久々に晴れたらいいな。


透き通るような、青空になれば良い。