ひとつ、ふたつ。


一定のリズムで肌を打つ冷たさが煩わしくて
はゆっくりと目を開けた。

途端目に入ったのは重たいグレーの雲の断面と
其処から落ちて来る、幾つもの煌く筋。


今日は1日雲行きが怪しかったけれども、
ついには雨が降り出したらしい。


何も、こんな時に雨が降らなくたって良いじゃないか。


溜息を吐いたら、誤って火でも飲み込んだのかと疑う位
肺が焼け付いて噎せ返った。


水溜りが出来始める抜かるんだ地面の上で丸くなり、
その動作に付きまとう節々の痛みに息が詰まる。


折角雨で薄らいでいたのに、胃から競りあがってきた血が
そのまま口を付いて出て、水溜りにドス黒い血がゆらりと
溶ける様に混ざって、また、むっと血の臭いが立ち上る。


手から、足から、滲むように水に溶ける紅。


嗚呼、この光景をあの人が見たならば、きっと―・・・



「綺麗、ですね。」



唐突に降りてきた声に、僅かに視線だけを向ける。


「ソロン・・・様・・・」


気絶するまで人の事を殴り倒してくれた張本人は
けれども、まるで場違いなほどの言葉を吐いて、悠然と見下ろしていた。



「・・・何か、虫の居所でも悪かったんですか。」



形式上の敬語で、チリチリと痛む喉から絞り出した声。

此方を見下す男は、その言葉にただ独特の鼻につく笑い方で哂って
ストンと、すぐ目の前にしゃがんだ。



「いいえ?むしろ気分が良いほどだ。
 それは、貴女の方がよく知ってるはずですがねえ。」


「そう・・・ですね。」


一応、今までずっと、貴方の隣でこうして生きてきたのだから。

師弟等関係であり、それ以外の関係でもあり・・・


「本当に、には紅がよく似合う。」


言った目の前の師は、長い指先で乱れる髪を掬い上げて。

はゆっくりと目を閉じた。

繊細に頬を撫でる指先は、先ほど、乱暴に自分を痛めつけた手と同じだとは
とてもではないけれども思えない。



己惚れだと哂うだろうか。

何を知って言うのだと、怒るのだろうか。



けれども、自分は確信している。

この人の隣をきちんと真っ直ぐに歩けるのは、きっと自分だけだ。


だって証拠に、この人の手は今、こうして愛おしそうに自分に触れる。



「貴方の紅が一番綺麗ですよ、


言ったソロンは、そうしてそっと、の体を持ち上げた。

痛んだ体に呻く声すらも、彼を悦ばしている。

歪んだ口元で、嗤ってみせる。



この人がただ、暴力だけを以って自分を殴りつけたのは
以前に遺跡船から、深い傷を負って帰って来た時だけ。


そう言えばあれ以来、自分と共に彼を師としていた幼い少年は居なくなった。


死んだのだろうか。

捨ててきたのだろうか。


けれども、本当の事を知ることは恐らくもう一生無い。


この男は、その話を酷く嫌うから。


ただ力の限りに殴りつけて、殴りつけて


「綺麗だ」と、悦ぶ顔すらも見せず


けれども、謝りはしないにしろ、その後のこの人の気の遣い様と言ったら・・・



「・・・何が可笑しい」


「いいえ、何でも」


思わず緩んだ口元にソロンが気を咎めるけれども
が力なく首を横に振ると、フンと鼻を鳴らして。


そして、まるで幼子が人形でもそうするかのように。


愛おしそうに、ただダラリと自らに凭れる身体を抱く。


血を流しすぎた事とと、雨に奪われた体温で、
いつもなら低いはずのソロンの体温は、今日はヤケに熱い。


そりゃそうだ。


この人だって、生きてるんだから。



「本当に・・綺麗ですよ。」


この人のこの言葉。

それだけが、自分の体の全てに意味を与える。


溢れ出す血液にさえも、何処も残さずに、命にすらも意味を付ける。


その悦んだ表情だけが、こうして―・・・


「ソロン様・・・」


ゆっくりと手を伸ばしてソロンの頬に触れれば
自らの血が、その表情を彩った。


それは酷く醜悪的な美で―・・・


「愛しています」


きっと、己惚れだと嗤われる。


それでも自分は確信している。


この人をこんなに悦ばす事が出来るのは、自分だけ。

この人のこんな愛を受止める事が出来るのは、自分だけ。



「・・・愛していますよ、



狂おしいほどに異常な愛を受けられるのも、自分しか―・・・






してる、なんて い嘘
嘘だ何て言わないで。私は貴方をいつまでもお慕いしています。









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